いろいろつらつらと

好きな時に、好きなことを、つらつらと。

SUPER EIGHTとの出会いからこれまで

2024年2月4日、関ジャニ∞がSUPER EIGHTに改名しました。

eighterの皆さんが2月3日までに沢山素敵なブログを書かれているのを見て、自分はエイトとどんな歴史を歩んできたかなーと思い出してまとめようとしていたら時間が経ってしまいました。それでもこの機会だし…と思ってつらつら書いてみることにしました。

ただの自己満足ですし、自分語りなので不快な気分になられたら申し訳ないです。

 

⚠️注意⚠️

身バレ防止のため、所々ぼかした表現をしていたり、時系列がおかしい部分があります。予めご了承ください。

 

 

私のJの入口は嵐だった。謎解きはディナーのあとでというドラマで櫻井翔くんを好きになり、嵐のファンになった。

嵐を見るために色んな番組を見ていたら、関西の陽気なお兄ちゃん達が現れる。好意的に見てはいたものの、しばらくは嵐にしか興味がなくて、嵐に一途だった。

ある日たまたま関ジャニの仕分け∞を見ていたらイケメンを見つけた。物凄いイケメンがいる。大倉忠義くんだった。あっという間にエイトも好きになった。

とはいえ当時はお小遣いを全然貰えない子どもだった私。エイトどころか嵐のCDも買えなかった。そんな時たまたま超ド田舎のセブンイレブンに行ったら、半額になったエイトの一番くじが売られていた。私がいくつか買ったのを見て、心優しい叔母が何個か追加して買ってくれた。この時当てたひざ掛けは未だに愛用してる。

その数ヵ月後、母親からもらった旅行のお土産代片手にCDショップに行った。旅行のお土産なんかどうでもよくて、嵐とエイトのCDが欲しかった。だから旅行前にPopcornと8ESTを購入した。これが人生で初めて買ったCDとなる。(見兼ねた母親が旅行前日にちゃんとお土産代を別にくれた。頭が上がらない。)

 

その後も少ないお小遣い内でやり繰りしていたけれど、掛け持ちの私には大変だった。当時の私は嵐が優先でどうしてもエイトは後回しだったけれど、学校の友人とCDを貸し借りしたりレンタルショップを利用したり最低限これは買うと決めたCDだけ買ったりしていた。

 

迎える10周年。この年はエイトの活躍が目覚しかった。貰えるお小遣いが少し増えたこともあり、CDを買える枚数が増えたし、初めてライブ円盤を買えた(十祭)し、貯めたお金でやっとエイトのFCにも入れた。入ってすぐに記念品の緑のパスケースが届いた時は嬉しかった。ずっと使ってたからボロボロになってしまったけれど、未だに大事に保管してある。関ジャニズムは行きたかったけど、家の事情で応募すら許されず見送った。悲しかったな。でもドラマや映画、テレビで沢山エイトを見れて本当に幸せな1年だった。

 

2015年になってリサイタルの案内が来たけれど、地元公演が無いことと地元以外の現場に行くことが禁止の家庭だったことでまた応募を見送り。

夏の終わりか秋の始まり頃に元気魂の案内が来て、今回は親に何言われようと絶対に行ってやるって決め込んで応募。当時の当落は何時に送られてくるか分からない当落メールで確認していた。当落日夕方になってもメールが来なかったから外に出かけていたらいつの間にかメールが来ていた。当選だった。

しばらくして家に紙チケが送られて来た。ドキドキしすぎて1人で背負いきれない私は、一緒にライブに行く友達に電話をかけながら封筒を開けた。アリーナAブロ、しかも相当前の席だった。一緒に行く友達3人と心の底から喜んだ。(当時は4連ができた)。

当日会場に入って席に着いたらステージと席のあまりの近さに驚いた。しかも花道横。ライブが始まって直ぐに横山くんがこちらに回ってきてくれて、こちらに手を振りながら歩いていったことを覚えてる。想像の何倍も白かったな〜。終盤に安田くんがアリーナに降りてきてくれて、すぐ隣の人はハイタッチしてた。私は距離が届かずに無理だった。

 

元気魂の後はプライベートが忙しすぎてエイトを全然追えなかった。どれくらい忙しかったかと言うと、元気魂オーラスで色々あったことを知らなかったぐらい。この時期は通っていた学校のブラック度がやばすぎて、週6で朝7時過ぎから夕方18時以降まで学校にいた。当然睡眠時間もままならず、ジャニ勉も関ジャムも見れないままHDDから削除していたぐらいに忙しかった。そんな状況下だと当然モチベーションは下がっていく一方で、降りる直前までいった。

それでもしばらくすると余裕ができてきて、なんとかエイトへのモチベーションも段々と取り戻すことが出来た。

この頃個人的にまあまあ大きな出来事があった。今の自担に思いっきり浮気して結果彼に担降りした。(身バレ防止のために今の自担の名前は伏せます、すみません。彼は今もエイトのメンバーの1人です。)

担降りしてすぐ、エイタメが無事当たってエイタメに行ったらありえないぐらい楽しかった。席は遠かったけどそんなことが気にならないぐらいに心の底から楽しかった。同時期に嵐への熱が相当冷めていたこともあって、エイトにその空いた分の熱が向かった。

 

2017年は本当に楽しすぎた。エイタメオーラスの時点でアルバム発売と夏の五大ドームツアーが発表されてずっとお祭り騒ぎの1年だった気がする。

関東地方ではない地域に住んでいるのに、クラスで非オタの女子も男子もクロニクルの好きな企画の話で盛り上がっていた。eighterとしてこんなに嬉しいことは無い。英会話伝言ゲームとカメラ目線スポーツの人気が強かったかな。

ジャムは自分でチケットが取れなかったけれど、親友がチケットを取ってくれた。親友、心の底から愛してる。初めての夏の現場で暑さに慣れていなくて大変だったけれど、それを吹き飛ばすぐらいに楽しかった。語彙力が無いのも合わさって、楽しかったことしか覚えていない。

 

ずっと「永遠」だと思っていたけれど、突如その日はやってきた。忘れもしない2018年4月15日。心にぽっかり空いた穴は塞がらないままあっという間に7月8日を迎え、7人最後のエイトを見届けた。

また親友がなんとか取ってくれたチケットでGR8ESTに参戦した。親友本当にありがとう。GR8ESTは正直楽しいより悲しい・寂しいが上回って辛かった。というのもプライベートの特にしんどい時期が被っていたから。プライベートで溜め込んだストレスをエイトを見ることで発散していたけれど、どこか苦しかった。

 

しんどい時期を乗り越えてプライベートがやっと落ち着きを取り戻してきた頃。スマホにトラウマの2文字が入ってきた。

公式じゃない、信じない信じない、嘘だ、でも本当だったら?心のどこかに不安を抱えたまま行った十五祭。楽しかった。

いざ迎えたその日は長年の友人(他G担)と一緒にいた。その日は逆にほとんど泣けなかった。放心状態の私を友人は優しく暖かく受け止めて、次の日には色々な場所に連れて行ってくれた。心の底からありがとう。

47はもちろんチケットが取れる訳もなく、地元公演にグッズだけを買いに行った。脱退とチケットが取れなかったことでまたモチベが下がってしまい、掛け持ち先のWESTとなにわにどんどん気持ちが移っていった。

 

そんな中、世界情勢が一気に変わった。コロナ禍に突入し、必死にチケットを取った掛け持ち先と他界隈の現場は全部無くなった。友人から「絶対に泣かない血も涙も無い女」(かなりの言われよう)のレッテルを貼られるレベルで泣かない私でも、親の前で声を上げながらわんわん泣いた。

こんなやるせない時でも、エイトは関ジャニ∞TVやテレビで歌を通してエールを送ってくれた。

自粛期間には沢山の動画を通してeighterを楽しませてくれた。そんなエイトの姿を見て冷めていた気持ちが少しずつ戻っている所でDREAM IsLANDが発表される。エイト、WEST、なにわを掛け持ちしている私にはこの上ない最高の夏の始まりとなった。

メンバー達もコロナの煽りを受けまくり、思い通りにいかないことの方が多かったと思う。だからこそメンバー同士の絆を強く感じたし、5人で楽しそうにしている姿が沢山見れて、なんだかんだ幸せで溢れる1年だった。

 

2021年、新年早々インスタ開設、「今年中にアルバム出します!!」宣言。相変わらずコロナで歯痒い思いをしてばっかりだったけれど、へこたれずに前を向いてeighterに元気を届けてくれる彼らの姿はヒーローにさえ見えた。

夏も終わる頃、ようやくアルバムを完成させ、ツアーも無事決まり盛り上がってきた。

久しぶりに自分の名義が大仕事をしてくれて、まあまあ倍率が高かった地元公演を初期当選で当てた。運良く友人も別公演を当ててくれたため、複数公演入ることが出来た。

8BEATに行って感じたのは相変わらずエイトのライブは心の底から楽しいということ。ずっと心のどこかに空いていた穴がようやく塞がり、寂しさとお別れできたような気がした。

 

18周年に突入し、18祭の開催決定がアナウンスされた。しかし、また色々あってエイトから少し離れ気味になってしまった。というのもハマり始めた名探偵コナン、ワンピースが面白すぎたから。まさかここまでとはな…。(気になる人は赤井秀一で調べてください)

それでもエイトへの愛は変わらずあった。大人になったこと、コロナ対策が多少緩和されたことで手にした遠征の自由をフル活用し、18祭(スタジアム)のチケットを取った。

少し不安(主に雨、コロナ、大雨、雷、豪雨)を抱えながら迎えた18祭初日。悪天候ではあったものの、7万以上の人が振るペンライトの波は、人生で見てきた景色の中で五本の指に入るぐらいに美しかった。18周年を迎えるエイトが、まだまだ大きな夢を叶える姿はこの上なくかっこよかった。応援しているだけの私にこんな綺麗な景色を見せてくれてありがとう。

冬のドームツアーが発表され、初めて数年来の友人(非eighter)をライブに誘った。彼女は中高生時代によくJの話で盛り上がった子だったけれど、エイトのことは詳しくない上にしばらく他界隈にいたため断られないか不安だった。そんな彼女はこちらの予想に反しかなり乗り気でOKしてくれた。

彼女にペンラやうちわ、超大量のエイトのCDを貸し(今はサブスクがあるから便利デスネ!!)、勝手に仕上がれのコールは覚えてきて!!!と念押しし迎えた当日。席は悪かったけれど、同行してくれた友人は久しぶりのJの現場だったこともありとても楽しんでくれた(なんなら私より楽しんでいた)。

しばらくして彼女もeighterになった。現場の力恐るべし。

 

2023年、キャンジャニちゃんの怒涛の活躍を享受している中、私の好きな人たちを取り巻く環境がコロナ禍よりもはるかに大きく変わっていた。

それでも外部フェス2つにエイトは呼ばれた。運が全く無い私がたまたまチケットを取ることができ、片方の外部フェスに参戦できた。

外部フェスということもあり、会場には他アーティストのファンが多かった。けれどエイトの出番は会場の後ろまで人がビッシリいて、凄く盛り上がっていた。時期が時期だったこともあり、世間の反応が怖かったけれど、会場の人たちは暖かくエイトを受け入れてくれた。改めてエイトの知名度の高さや適応力を見せられ誇らしくなった。

前夜祭は友人と一緒に見た。あっという間の時間で楽しかった。早い段階で20周年の年間スケジュールを共有しアリーナツアーとドームツアーを約束してくれるエイトに、友人と「ほんとにせっかちだね」と笑いつつも喜びあった。

 

その後は色々辛かった。詳しくは言及しないし、この点についてこの場で話をするつもりは無い。

中々現実に向き合えない中で、苦しい決断を幾つも耳にした。何年ぶりか分からない悔し泣きをした。

それでも前を向いて暖かい言葉をかけてくれる5人に支えられて2月4日を迎えられた。

今は悲観の気持ちはほぼ無いし、大好きな5人のことを信じるのみ。ただただ1年間が楽しみだし。

SUPER EIGHTが無事20周年を完走し、SUPERな活躍をできますように。

 

まだまだ終わらないから。